主催者不在の、コロナ禍の中での、音楽イベントの作り方
A氏が諸悪の根源なのでしょうか。そして、それは、なぜ?
A氏とは、一体何者なのか。Mさんに連絡を取りました。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
A氏について知らなければ、戦いに勝つことはできない。
私の中で、すでにA氏は「敵」でした。
デザイナーMさんに個人的にコンタクトを取りました。
今回の混乱と非礼を詫び、そのついでにA氏について色々と質問しました。
2年前に、図書館のイベントでかなり嫌な思いをさせられただけの私やさとみんよりも、A氏とは長年のお付き合いのMさん。何か、A氏を理解するコツをご存知のはずです。
Mさん、嫌な顔一つせず、すべての質問に答えてくれました。
結果。
Mさん曰く、
「私たちにも、Aさんが何をしたいのかは、わからないんです」
「稽古にはあまり来ません。ただ、チラシは配りますし、チケットは売ってくれます」
闇は、闇のままでした。
チラシ配りはできるらしい。
もしかしたらチケットを売る人脈はあるのかもしれない。
ということが、わかっただけでした。
演劇と音楽の、公演へのアプローチの違い
ここで、整理しておいたほうがいいのは、A氏が「演劇」の人であること。
※音楽のイベントも手がけたことがあるようですが、過去の音楽のイベント開催の経験について尋ねると「宇部市の環境学習館は、僕が最初にやった」
(何を?と聞くと「え?じゃけ(だから)、全部」という答えが返ってくる)
「そこに、音楽できる人を呼んだのは、僕」
(どれくらいの規模と頻度のイベント?と聞くと、ニヤニヤするだけで答えない)
と、話の焦点が合わないので、もう聞かないことにしました。
A氏は、演劇畑の人で、私たちは音楽畑の人。
何がどう違うのか。
ここでは「芸術性」や「どちらが人気があるのか」ということではなく、「公演を企画運営する」という場面だけに絞って違いを抽出します。
「公演」を「一冊の本」に例えるなら、
演劇の公演は「小説」。
演者が複数組いる音楽の公演は「マンガ雑誌(りぼんとか、少年ジャンプとか)」です。
以下、解説します。
演劇は、脚本を決めた(書いた)時点で、コンセプトや伝えたいことがはっきりしています。
あとは、その「伝えたいこと」がきちんと観客に伝わるように、議論と稽古を重ね、役者だけでなく裏では舞台美術担当者が暗躍し、共通のイメージと目的へ向けて邁進します。チラシも、そのコンセプトに沿ったイメージで作成します。
仕上がった舞台は、美しい装丁の、心を打つ、一つの物語となります。
それに対して、今回のような「複数のバンド(ユニット)がいろんなジャンルの音楽を演奏する」という公演は、「いろんなタイプの漫画家が集まって、一つの雑誌(本でもいい)を作り上げる」ことに似ています。
その雑誌は、誰が買うの?
どんな人が読むの?
そもそも、少年漫画?少女漫画?青年向け?それとも、オヤジ向けのギャグ漫画?
雑誌(公演)そのもののカラーと、読者のターゲット、そしてシリアスかギャグかエロか等の方向性がないと、漫画家(演者)は何をしていいかわからないのです。
コンセプトとターゲット、目的さえはっきりしていれば、演者はそれに合わせた曲目と演出を考え、出演順や曲順を目的に合わせて決め、それぞれの個性がありつつもオムニバス的にまとまった物語を紡ぎ出します。
そして、公演の方向性を決めるのは、大抵の場合、発起人(今回は、市に応募したA氏)です。
そのことを、まるで理解しない、音楽の公演について考えたことなどはそもそも最初から最後までない。そんな人物が今回の発起人であり、主催者だったのです。
じゃあ、どうするか。
我々、演者ですべてを決めるほかに、道はありません。
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