島袋 りりあ
1971年長崎県佐世保市生まれ。B型。水瓶座。
佐世保→東京→川崎→フロリダ州→東京、と移動したあと、縁あって2012年より山口県宇部市に移り住む。
円形脱毛症と共に生きるということ。
幼少の頃に、髪が抜け始めました。
毎朝髪を結ってくれていた母が、私の首筋の生え際(いわゆるうなじ)にポツポツと十円ハゲができていることに気づき、そのあたりを引っ張らずに済むようなヘアスタイルに変更しながら様子を見ることにした、と聞いています。4歳か5歳のことでした。
細くて栗色で少しカールがかかっていて、とても結いやすい、いい髪だったのよ、と母がよく言っていました。
そのハゲは、できたり消えたりを繰り返しながら、少しずつ範囲を広めていきました。
小学校1年生になったある朝、起きると枕にべったりと髪がついていました。驚いて残っている自分の髪を軽く引っ張ると、ごそっと抜けました。
生まれながらのアホだったので、同じくアホの姉と一緒になって「うはははー!抜ける抜ける!!」と爆笑しながら抜いていました。傍目には「まことちゃん」みたいな光景に映ったことと思います。
原因は、不明。
悩みがあったとか、家が貧乏で栄養が足りなかった、というわけではありません。公務員の父と専業主婦の母のもと、仲の良い三人姉妹でアホながらに楽しい毎日を過ごしている、ごく普通の子どもでした。
入学前の時点で「円形脱毛症」との診断名は降りていました。そこに、「汎発性」または「広汎性」の文字が付くことになりました。
医師が言うには、
単発型の円形脱毛症であれば治ることが多いです。
(祖母の死が悲しくて円形脱毛症になった子の例を出しながら)心に一過性の大きなストレスがかかったことが原因である場合はそのストレスを除くことによってすんなりと治ることがあります。(私を見つめて)ストレス、なさそうですよね…。
また、範囲が広がっても、禿げるのが頭髪の範囲に収まっていれば、治る人もいます。でも、眉毛やまつ毛が抜け始めたら、治るのは難しい。ストレスによるものでなければ、この病気の原因は、不明です
とのこと。
眉毛が抜け始めたのは、中1でした。
病気ということなので、病院に通って治療を受けていました。
治療の内容は
紫外線照射
腕にホルモン注射
頭皮に何かの注射
の三種類を時期によって変えたり併用したり、あとは大量の飲み薬が出ました。
紫外線照射は「絶対に目を開けないでね」と言われているにも関わらず、毎回薄眼を開けて自分の手のひらとか照射する機械とかを観察していました。だって、退屈だったんですもの(目に異常が出なかったからよかったものの、よい子のみんなは真似しないでね)。
頭皮への注射は痛く、つらいものでした。これ、今「頭皮 注射」のワードで画像検索しても普通の注射器しかヒットしないのですが、思い出の中の注射器はステンレス製っぽい金属の筒で、医師が引き金を引くと短い針が一瞬頭皮を刺して薬液を注入する、というものでした。
頭皮ってすぐ下に頭蓋骨があるわけで、この短い針が出た瞬間「バツーン!」という衝撃が骨を通して頭全体に走ります。もちろん、針が刺さるのも痛い。毎回、ボコボコの刺しあとだらけ、頭を血まみれにして診療室を後にしました。この頭皮注射の間は母がずっと手を握りしめてくれていました。この治療、つらかったのですが、なんと一時期髪が生えてきたのです。でも、抜ける速度の方が早く、痛くてつらい治療を続けさせるのがもう見ていられない、と母が医師に申し入れて治療を取りやめました。私が母の立場でも同じ決断をすると思います。
ホルモン注射は腕に刺す普通の注射でした。でも効果はまったく現れなかったので数ヶ月で取りやめて、その後は紫外線を当てるためにぼんやりと通院を続けました。紫外線の影響で、頭皮がすぐボロボロに茶色くなって剥けて落ちてきました。新しい皮膚になっても、毛は生えてきませんでした。
そのうえ、中学生になると眉毛も抜け始めました。治ってほしいのに、治らない道へ一直線でした。
そのうち、受験だ部活だと多忙になり、病院から次第に足が遠のきました。
※かれこれ30年以上前の話です。現在はもっと他の治療法があるのではないかと思いますし、「眉毛がない=治りにくい」ではなくなっているかもしれません。
ウィッグ生活のはじまり
さて、小1にして大きなハゲができてしまった私ですが、ウィッグをつけ始めたのは小4からです。
金太郎さんの逆バージョン(頭頂に毛があり、その周囲がハゲ)またはてっぺんの毛が三千本くらいある波平さん、みたいな感じで症状が進行していったので、しばらくは頭頂からの髪を伸ばせば、多少誤魔化すことができたのでした。
もうどうしても誤魔化すのは不可能!というタイミングで、やっとウィッグを買うことに(親が)決めたのでした。
だって、高かったんですよ。28万円くらいしたのではないでしょうか、最初のウィッグ。黒髪の短めボブカットの、人毛ウィッグでした。このお値段がネックとなって、母は父にウィッグ購入についてなかなか切り出せなかったのだと思います。
しかも、当時は子ども用のウィッグはまだありませんでした。大きくぶかぶかなウィッグを内側のストラップで無理やり縮めて頭に被せて(載せて)いました。ハゲで不恰好な子どもから、頭が大きくて不恰好な子どもに進化しました。
ウィッグをつけて学校へ行くようになっても、母が心配したようないじめはありませんでした。
いや、実際には「ハゲハゲ!カツラ!」とからかう男子はいたのですが、「うん、そう!カツラ!」と私が笑いながらウィッグをひょい、と取ってみせるものだから、いじめ甲斐がなかった模様です。アホでよかった。
続きます。