沖縄民謡を教えている人物がウィッグを売り始めた、という経緯で生まれたサイトです。
三線講師としての島袋
こんにちは、島袋りりあと申します。
平成8年から、三線を習うために宮古島出身の民謡の先生に師事しました。その4年後に独立、カルチャースクール等で教え始めたのが、三線講師としてのキャリアの始まりです。
途中、渡米と子育てで10年近くのブランクはあれど、わりかし長い期間、三線を教えることに力を注いできました。
DVDの他に、教本もドレミ楽譜出版社より出させていただきました。残念ながら絶版となっております。アマゾンではまだ中古品が買えるようですので、よかったら、いかがでしょうか。
ウィッグ伝道師としてのハゲ袋爆誕のきっかけは、民謡と2ちゃんねる
民謡講師としてのキャリアが始まり、そして…。
沖縄音楽を教えて生計を立てるきっかけになったのは、広範性で汎発型の、治らない円形脱毛症で髪を失ったことであり、そのキャリアを思うように伸ばすことができない、というジレンマに陥ったのも、同じ病気のせいでした。
三線を教えて生計を立てるようになった話は、下記の記事もご参照ください。
沖縄民謡の講師としてのキャリアをハゲのせいで伸ばすことができない…、という、パッと聞いただけではあまり理解できない話について、以下説明します。
髪を結い上げられないせいで、コンクールに出場できない…!?
どこの民謡界でも「あるある」なのかは寡聞にして知らないのですが、沖縄民謡/琉球民謡の世界では、公(おおやけ)に「この人は上手い」と認められるための認定制度があります。
沖縄民謡の世界で言えば、あちこちの民謡協会がそれぞれ「新人賞」「優秀賞」そして「最高賞」「大賞」というような規格を定めて認定しています。
今は規則が変わっているようですが、当時(20年前)は女性は琉装であることと、「カンプー(画像検索結果)」というヘアスタイルにして受験することが条件でした。
でも、髪を結い上げることができなかったんです、当時私が使っていた日本製のウィッグでは。
直談判すれば、特例が認められたかもしれません。
が、当時師事していた民謡の師匠はどこの協会にも属しておらず、まずは協会に属している先生に最低3ヶ月師事し、推薦していただくことが受験の必須要項でした(これは今も変わっていないようです)。
当時まだ若く、「死んでもヅラバレしたくない病」にかかっていた私は、その時点で受験を断念しました。
どこにも属さない、沖縄出身でもない、流れ者の民謡講師として活動を続け、本やDVDまで出させていただくことができたのは、とてもラッキーなことだったと思います。
この頃(平成12〜3年くらい)、どうにかして髪を結い上げられるようなウィッグがないか、とネット上を彷徨いました。
どうやら海外にはそのようなウィッグがあるらしい、という噂を匿名掲示板「2ちゃんねる」で耳にし、海外の業者へ取り次いでくれる個人に連絡を取ってみました。
しかしそのときは、「髪全体をアップにして結い上げるのは不可能ではないが難しい」というお返事だけで、その方との音信が途切れました。
今にして思えば、フルレースウィッグは装着にそれなりの道具と手間がかかりますから、初心者への説明が面倒だったのだと思います。
平成17年くらいから使い始めた、海外の人毛ウィッグ
なぜかアメリカに住むことに。
幸い、ご縁に恵まれ、34歳で結婚することができました。
ハゲだから結婚できない…!と思い悩む青春を送ってきましたから、とても嬉しく、ありがたく思いました。
旦那さんとなる人は、理系の学者で、ゆくゆくは大学で教鞭を取ることを目指していました。そのためには、海外で研究生としてのキャリアを積むのが(当時は)早道だ、とのことで入籍後すぐにフロリダ州へ旅立つことになってしまいました。
三線教室を仲の良い後進に全部譲り、まっさらの無職で、英語もさっぱりできない34歳日本人女性の海外生活が始まりました。
学者志望の研究生は他にも会いましたが、ここまでさっぱり何にもできない妻を伴う例はあまり見かけませんでした。
配偶者も何かしら資格があり、それを生かして働いたり、海外在住であることを物ともせず日本企業からのオファーを受けてフリーランスとして働いたりしていました。
私は、なんとも残念な部類の配偶者でした。
しかしながら、住めば都とはよく言ったもので、言葉の壁は大きいながらに、毎日が冒険だらけの楽しい日々でもありました。
そんな中で、出会った、というか見つけたのが「アフリカ系アメリカ人女性向けのレースウィッグ」だったのです。
※レースウィッグに出会った経緯は、下記の記事でどうぞ。
長年使っているウィッグを紹介したい
レースウィッグ(私が使っているのは、その中の「フルレースウィッグ」)を使い始めて早10年以上。
※レースウィッグの大まかな種類については、下記の記事をご参照ください。
髪の傷みが早い問題に悩まされ、メーカー選びに苦心惨憺させられることもありました。
※このあたりは、下記の記事に書いています。
今では、ウィッグが数ヶ月で傷んでしまうこともなく、大変に心地よく穏やかなヅラ生活を過ごしています。
そこまできてやっと「私は、もしかしたら同じ病気を持つ方々へ、何か役に立つ情報をシェアできるのかもしれない」と思うようになり、このサイト(と言いますか、前身となるzurazura.net)とウィッグショップとを同時に立ち上げました。
沖縄民謡の講師としての活動も継続
山口県西部唯一の三線教室を運営しています。
帰国後、山口県に住むようになってからは、各地での演奏活動と並行して個人レッスンで民謡を教えてきました。
しかし、ウィッグショップを立ち上げたあとは、個人レッスンの時間を小刻みに取ることがかなり困難になり、生徒さんたちにお願いして火曜日の夜にまとめてグループレッスンをおこなうことにしました。
それが、2019年秋に開始した「宇部沖縄三線愛好会」です。
愛好会は、ウィッグとはまるで関係ない話なので、生徒さんたちへの連絡用に新しくブログを立ち上げました(既にこのサイトへの移転がほぼ終わっていますが、旧愛好会サイトはこちらです)。
愛好会のブログとの両立が苦しくなってきました。
ヅラ生活のすゝめの更新と、ショップの構築&運営と、音楽活動の記録サイト(このサイトへ移転済み)、さらに愛好会のサイト…。
4つのウェブサイトの見た目が同じにならないようにするため、それぞれ使い勝手がまったく違うWordPressのテーマを導入、そのうえ自分好みになるようにcssを大量に書き加えて使っていました。
そうなると、更新も管理も大変なんですね。うっかりしてました。苦手なジャンルではないから、大丈夫、できるだろう、と軽く考えていました。
ですが、実際には「ウィッグ」と「音楽」とでは頭の切り替えが必要ですし、実際に記事を書く時間以上に構成を考えたり楽譜を書いたり資料を作ったり、という時間も必要です。
次第に、頭も体も回らなくなってきました。
コロナ禍で愛好会を3ヶ月休止している間に、これまでのサイトたちを大幅に見直し、統合することにしました。
このあたりの経緯は、下記の記事に詳しく書いています。
そういうわけで、沖縄民謡の話とウィッグの話が混在しますが
誰かが生きるための、ほんの少しの手助けになれるかもしれない
若い頃にはどうしてもできなかった、「ハゲであること、ウィッグを使っていることを認める」ことが歳をとるにつれて、楽にできるようになってきました。
が、この世の中には若かった頃の私のような方々がおられるはずです。
「おんなじだなあ」、「大変なんだよねえ」と共感していただけたら、と思います。そして、少しでも、誰かの気が楽になるなら、これほど嬉しいことはありません。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
ブログの構成上、沖縄民謡とウィッグとその他が混じりますが、このような経緯がございます。
どうか温かく見守ってくださいますようお願いいたします。
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